『SEVEN-BRIDGE』
越えてゆけ 越えてゆけ 黒の切符を手にした者は 黒の列車に乗ってゆけ 七つの橋のその向こう 旅の終わりのその先に みはてぬのぞみがあらわれる
『SEVEN-BRIDGE』はライアーソフトから2005年2月に発売された18禁ADVゲームです。北京からドイツまでを寝台列車で旅する物語、七つの橋を越えていく物語、『銀河鉄道の夜』を彷彿させる宗教的なテーマ等など、九郎太的ツボにはまる前評判に、発売までとても期待していました。実はこれまでずっと未プレイで、やっと先日、プレイしたのですが……。
せいぜい三分の一程度しか完成されてない、というのがぼくの印象ですね。残りはプロットあるいは設定に最低限の台詞をつけただけ。テーマの大きさに対して、「橋の試練」のシーンを七つ分、ちゃんと描き切れていないというのが特に良くないです。
しかし、練り上げられた世界観・歴史観はとても引きこまれるもので(アジア、東ヨーロッパを舞台にされているのも斬新でしたし)、それぞれに数奇な運命によって列車に引き寄せられたキャラクターは魅力的でした。
前半は、物語的にはまだ浅いとはいえ、すぐれたテキストと音楽によって、楽園への逃避行的な旅情のムードが心地よく描かれていて、この時間をずっと続けたい、と思わせるものでした。それだけに今、中途半端に放り出されてしまったこの気持ちを、どうやって補完したらよいのか、と苦悩しています。
この苦悩の体験こそが、作品テーマとメタな部分でつながっているというわけなんでしょうか。主人公たちの苦悩と共通するものなのでしょうか…。
…いずれどこかで、もっと詳しく書きたいです。
『銀盤カレイドスコープ』
http://www.sonymusic.co.jp/Animation/ginban/
そんななか、タイムリーな放映だったのがこの作品。昨日が最終回でした。“100億ドルの美貌”を自称する高ビーな美少女フィギュアスケーター・桜野タズサが、幽霊少年・ピートに取り憑かれ、二人二脚?でトリノを目指す、という設定を素直に描いて、毎回安定して楽しめました。ラストはピートの昇天による二人の別離だったのですが(こういう物語って九郎太の好みです)、さわやかにまとめてました。ただ、できれば続編で、タズサとピートの関係がもっと進むのを見たい気がします。
寒風
年の瀬というのに、金がありません。(ToT)
(○○○、早く謝金を振り込めー!)
今回こそ、コミケには“行けない”かも。
ていうか、いつまで行けるんだと。いつまで行っているんだと!
社会人になり、初めてコミケに行って、早や10数年。
会場がまだ晴海だった頃でした…
おっとそんなことより、今日書いておきたいのは、次のこと。
今週はBS2で、要チェックのアニメが目白押しです。
http://www.nhk.or.jp/bs/
『劇場版 カードキャプターさくら』6日(火) 後8:00〜9:22
『アリーテ姫』7日(水) 後8:00〜9:45
『雲のむこう、約束の場所』8日(木) 後8:00〜9:30
『パルムの樹』9日(金) 後7:30〜9:46
『雲のむこう、約束の場所』は初めてのTV放映じゃないかな?
こちらはDVDを持っているので、まあいいんですが、『アリーテ姫』に特に期待です。
『蟲師』「露を吸う群」
あこや「なんだか不安でたまらないの。生き神だった頃は、日が暮れ て、衰え始めて眠りにつくとき、いつもとても満たされた気持ちで、 目を閉じられたのに。今は恐ろしいの。目が覚めても、ただ昨日まで の現実の続きが待っている。目の前に広がるあてどない膨大な時間に、 足がすくむ。」 ギンコ「お前さん、蟲の時間で生きてたんじゃないかなあ。あの蟲は 寄生した動物の体内時間を同調させるものだったんだ。生き物の寿命 は種によってそれぞれ違うが、生涯、脈打つ回数はほぼ同じと言われ てる。体内に流れる時間の密度はみな違うってことだ。あの蟲の生涯 はおよそ一日。それをお前さんは毎日味わっていた。」 あこや「そう、それでかな。一日一日、一刻一刻が息を呑むほど新し くて、何かを考えようとしても追いつかないくらい。いつも心の中が いっぱいだったの。」
http://www.mushishi.jp/
アニメ版『蟲師』はやはり良いねえ。演出が際立っているわけではないのだが、
原作のテーマを120%表現した好作品に仕上げている。
で、今回のテーマだが、永遠の時間と人間の生きる時間、である。
蟲に寄生されて生き神となったあこやは、ギンコによっていったんは
元に戻るも、ふたたび、蟲の宿る永遠の時間へと帰っていく。それは
現実逃避なのか、良き思い出への回帰なのか。
「もう、いいんだ。あこやが心底満たされた表情をするのは生き神で
いるときだけだったから」
あこやに恋する少年ナギは、ただその事実を受け入れる。
ナギは人として日常を生き続け、あこやは彼の傍らにいながら蟲の生
を行きながら、彼を見守る。
これは『蟲師』全体を貫くスタンスでもある。人間や生き物の傍らに
蟲がいる。生き物の生の底流に蟲達の世界がある。我々はどこかでそ
れとつながっているからこそ、善悪を超えて、蟲の世界に惹かれる。
しかし人間の生のまま、そこに住むことはできない。
ここで思い出すのは、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』である。
人間世界の汚れの結果作り出された腐海の深奥に、清浄の地が生まれ、
しかし人が生きられる場所はそのいずれでもなくて、腐海の傍らであ
るという、存在の構図が、『蟲師』のそれと重なるではないか。
「いのちは闇の中のまたたく光だ」。清浄と汚濁の二つが同居する矛
盾こそが、人の生であると看破したナウシカだが、彼女が真に心安ら
げるのは、腐海の森であった。
ナウシカの悲しみを、あこやの切なさを、きっと我々も共有しているのだ。