『蟲師』「露を吸う群」

あこや「なんだか不安でたまらないの。生き神だった頃は、日が暮れ
て、衰え始めて眠りにつくとき、いつもとても満たされた気持ちで、
目を閉じられたのに。今は恐ろしいの。目が覚めても、ただ昨日まで
の現実の続きが待っている。目の前に広がるあてどない膨大な時間に、
足がすくむ。」

ギンコ「お前さん、蟲の時間で生きてたんじゃないかなあ。あの蟲は
寄生した動物の体内時間を同調させるものだったんだ。生き物の寿命
は種によってそれぞれ違うが、生涯、脈打つ回数はほぼ同じと言われ
てる。体内に流れる時間の密度はみな違うってことだ。あの蟲の生涯
はおよそ一日。それをお前さんは毎日味わっていた。」

あこや「そう、それでかな。一日一日、一刻一刻が息を呑むほど新し
くて、何かを考えようとしても追いつかないくらい。いつも心の中が
いっぱいだったの。」

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アニメ版『蟲師』はやはり良いねえ。演出が際立っているわけではないのだが、
原作のテーマを120%表現した好作品に仕上げている。
で、今回のテーマだが、永遠の時間と人間の生きる時間、である。
蟲に寄生されて生き神となったあこやは、ギンコによっていったんは
元に戻るも、ふたたび、蟲の宿る永遠の時間へと帰っていく。それは
現実逃避なのか、良き思い出への回帰なのか。
「もう、いいんだ。あこやが心底満たされた表情をするのは生き神で
いるときだけだったから」
あこやに恋する少年ナギは、ただその事実を受け入れる。
ナギは人として日常を生き続け、あこやは彼の傍らにいながら蟲の生
を行きながら、彼を見守る。
これは『蟲師』全体を貫くスタンスでもある。人間や生き物の傍らに
蟲がいる。生き物の生の底流に蟲達の世界がある。我々はどこかでそ
れとつながっているからこそ、善悪を超えて、蟲の世界に惹かれる。
しかし人間の生のまま、そこに住むことはできない。

ここで思い出すのは、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』である。
人間世界の汚れの結果作り出された腐海の深奥に、清浄の地が生まれ、
しかし人が生きられる場所はそのいずれでもなくて、腐海の傍らであ
るという、存在の構図が、『蟲師』のそれと重なるではないか。
「いのちは闇の中のまたたく光だ」。清浄と汚濁の二つが同居する矛
盾こそが、人の生であると看破したナウシカだが、彼女が真に心安ら
げるのは、腐海の森であった。

ナウシカの悲しみを、あこやの切なさを、きっと我々も共有しているのだ。