ごきげんよう

マリア様がみてる』を見て思い出したこと――
子どもの頃ぼくは、会津若松市の郊外に住んでいた。周囲一帯を水田や柿畑、小川に雑木林、そんな田舎な風景に囲まれた団地だったが、バスで10分、歩いても30分で鶴ケ城城下、市の中心に行ける、そういう微妙なロケーションだった。小学校の三年くらいになると一人で町に買い物に行かされたりした。
城下にはザベリオ学園というミッション系の学校があった。名前のミステリアスな印象から、ぼくら田舎の子の間でその学校は伝説の域になっていた。
ある夕刻、買い物の帰りにぼくは賑やかなアーケード街を外れ、街裏に迷い込んだ。煉瓦造りの酒蔵やら蔦のからまる古びた病院やらが建つ小路を進むと、珍しい制服姿の小学生の一団に出会った。他校の生徒と出会うこと自体、かなり緊張するイベントだったが、彼らの行為がさらにぼくを驚かせた。大きな鉄の門をくぐりながら口々に「先生、ごきげんよう」と唱えたのだ。『ごきげんよう』が『さようなら』の代わりであるのはなんとなく推測できた。が、子どもの狭い常識からみて、それはまったく奇妙であり、どこか許せない過ちに思えた。
翌日さっそく、友人らに報告したのだが、そのときぼくの心に芽生えていたのは、たぶん生まれて初めてのコンプレックスというやつだったのだろう。