『KURAU Phantom Memory』その2

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2話目以降、肩透かしをくらった感の『KURAU』だが、いろいろと脳内補完してみたくなる設定が盛り込まれている。
たとえば、タイトルのphantom memoryとは、何を意味しているのか? phantom pain 幻肢痛 phantom pregnancy 想像妊娠 などの言葉がある。喪ったはずの手足の痛みを感じたり、あたかも懐胎したかのように体に異調が起こるわけだ。
では言ってみれば、phantom memoryとは、ありうべからざる記憶、創られた記憶、といったところか。
クラウの父は、リナクスと一体となったクラウが以前と同じようにふるまうのを目にして、それがクラウ本来の人格なのか、彼女がまだ自分の娘なのかと疑い、とまどう。彼にとってはリナクスが娘の記憶を奪い、娘の人格を騙っている、そんな不自然ささえ感じられていたかもしれない。
そんな彼の迷いを振り切ったのが、クラウが亡き妻から受け継いだ、両頬を手ではさむというしぐさだった。クラウと亡き妻を繋ぐそのしぐさを見た時、彼は何かを了解し、涙を流して、クラウ=リナクスへの父性を取り戻した。ゆえに、このしぐさが彼にとって特別な意味を持っていることがわかる。何故このしぐさが他のクラウの言動=記憶とは異なり、彼をしてクラウ=リナクスを受け入れさせる力を持ったのか?
もともとのクラウがそれを行ったのであれば、たぶん彼の心はああも揺さぶられなかっただろう。彼が彼女のことを「娘の姿はしているが娘ではない者」、リナクスとして見えていたからこそ、ありうべからざる記憶をそこに見出したショックが、彼を彼女=リナクスの父親に押し上げるに至った、ということなのだろうか。
あるいは、そのしぐさを見た時、彼はそれまでの自分の目から解かれ、亡き妻の目でクラウ=リナクスを見ることが出来たのかもしれない。
ともかく、ありうべからざる記憶、しかしながら、生きている者に対して時に現実以上に強い影響を放ちつづける記憶の問題、それがphantom memoryの意味なのだとしたら、今のクラウ=リナクスにとってのphantom memoryも、また別にあるのではないだろうか? それがリナクスの“対”なのではないか? 
今のところ、父にとってのクラウがそうであったように、クラウ=リナクスにとっての“対”=クリスマスは待ち焦がれた大切な存在であることはわかる。が、何故そうであるのか、そもそも“対”という存在様式について、本作ではほとんど語られていない。
現段階で言えるのは、クリスマスとは、クラウ=リナクスにとって善意の対象であり、守りたい存在であり、そのために自らもまた生き延びなければならない契約の象徴、といったところだろうか。(ちなみにリナクスの言によれば、“対”が力を回復すれば、リナクスはクラウの身体から離れることができるのではなかったか? そうなってないのは、たぶんまだ、その方法が分かっていないということなのだろう。)